山陽染工株式会社 
 湯浅遼太 

 山陽染工株式会社 
 湯浅遼太 

デニムのことを知りたい。
ただその想いだけを持って広島へ。
一人の若者が染める、デニムと地域の未来。

デニムのことを知りたい。
ただその想いだけを持って広島へ。
一人の若者が染める、デニムと地域の未来。

デニム愛が紡ぐ、 福山のテキスタイルの未来。

このたび松屋銀座では、都内各所で開かれる「TOKYO CREATIVE SALON」と連携して、「松屋の地域共創 日本の春 × TOKYO CREATIVE SALON」と銘打ち、広島県福山市の「福山デニム」を使った展示や各種イベントを開催中です。表情豊かな色合いと多彩な柄をまとった福山デニムのドレスが、ショーウィンドウでひと際目を引きます。

今回、こちらのデニムをご提供いただいたのは、広島県福山市にある染色加工会社「山陽染工株式会社」さん。本取り組みに関わった新規事業部の湯浅遼太さんに話をお聞きしました。

自分が大切にしていた価値観が外側へと広がって、文化になっていく。それが嬉しかった。

すでにデニムを着ている、幼少期の湯浅少年。

―― もともとのご出身は?

湯浅さん(以下省略)

生まれも育ちも大分県大分市です。大学時代は沖縄で過ごしています。

―― デニムを好きになったきっかけは?

両親がジーンズ好きで、その影響で自分も好きになりました。父とリサイクルショップで、いろんな価格帯のデニムやジーンズを眺めたり触ったりしながら「ジーンズは古くなっても味が出てカッコよくなるんだぞ」と言われて。そこから、さらに好きになっていきましたね。

―― いわゆるビンテージに興味が出たりもしたのですか?

もちろん、それなりに詳しくなっていきました。でも、どちらかというと糊がついた新品のデニムを履いて、色落ちを楽しむほうが好きでした。色落ちしてきたジーンズに“自分が生きてきた証”を重ねるような、育てていく感覚というか。

あとは、誰かに紹介することも楽しかったですね。自分で育てたジーンズを履いて、それを見た友人に「おすすめのジーンズないかな?」と言われて1本選んであげる。それを履いた友人も色落ちしたジーンズを見せてくれる。そんなやりとりが続いていくことで、自分が大切にしていた価値観が外側へと広がって、小さいけれど「文化」になっていく。そんな感覚になることが、嬉しかったんです。

―― やがて「好き」から「仕事にしたい」という気持ちに変化していくのですか?

仕事にしたいという気持ちより、人に伝えることで喜んでもらえるなら、もうちょっとジーンズを含めたデニム全般のことを知りたい、といった純粋な興味とか想いの部分が大きかったですね。その想いが止まらなくて、大学を休学して沖縄から原付を走らせて、デニムの産地である広島県福山市へと向かいました。

知りたくて、飛び込んで、いつの間にか仕事に。

―― 休学してから山陽染工に至るまでの経緯を教えてください。

福山に来て最初の1ヶ月は「小田デニム洗業」という洗い加工屋さんの会長宅に居候させてもらいながら、午前中は洗い加工の手伝い、午後からは同じく福山市内にある「篠原テキスタイル」というデニム生地メーカーさんで手伝いをしていました。そのあと岡山県倉敷市児島にある、デニムをテーマにしたゲストハウスの立ち上げに関わりました。

―― 職人の世界の次は、デニムの意味や価値を広げる場所へと身を投じたのですね。

まさに。そこはゲストハウスと並行して自社でデニムも生産していたので、工場見学をしながらデニム製造のことを間近で学ぶことができました。そのゲストハウスに住みながら1年半ほど住み込みでお手伝いをした後、再び福山に戻って山野町にある「藍屋テロワール」という藍染めの工房で3年半程働きました。天然の藍を栽培してそれを染料にして生地を染めていく、奈良時代から続く製法で藍染めを行うので、ものすごく勉強になりましたね。そこから現職の山陽染工へ転職し、この3月で2年目になるといった感じです。

手を青く染めた藍屋テロワール時代の湯浅さん

―― 特に印象に残っている経験があれば教えてください。

昔ながらの藍染めに携われたことは、自分にとって大きかったですね。目に見えない微生物との向き合い方、農業に対する考え方、農耕民族としての日本人らしさなどを働きながら実感できたので。今は工場でのモノづくりですが、それでも当時培った価値観は大事にしています。

創業101年目。備後絣が起源の「技」を届ける。

―― 山陽染工についても教えてください。

もともと福山というエリアは織物がさかんで、日本三大絣の1つである「備後絣(びんごがすり)」がつくられていました。山陽染工も、備後絣を起源とする染色加工の会社です。大正14年(1925)創業なので、今年で101年目を迎えます。創業時、白い生地を藍染し、その生地を絣のように色を抜いていく「抜染(ばっせん)」という技術で特許を持っていました。ちなみに、備後絣の織元さんがデニムを織るようになっていったのが、福山デニムの始まりです。

―― デニムを問わず、生地の染色加工が主軸となっているのですね。

そうです。ただ、やはりデニムの産地という土壌で長らく染色加工をしてきたので、今も昔もデニムの可能性を広げてきた会社だと思います。

―― 湯浅さん自身は、山陽染工でどのような仕事をしていますか?

新規事業部に所属して、自社の技術を活かしたオリジナルブランドの開発や、福山市内の百貨店にある「FUKUYAMA MONO SHOP」という店舗運営に携わっています。特に店舗では、山陽染工の商品だけでなく福山でモノづくりをする会社の商品も取り扱っているので、自分たちの技術を含めた福山のモノづくり全般を広く発信することで、地域を盛り上げていくことを目指しています。

生地としてのデニムと、山陽染工の技術を魅せる。

―― 今回の「松屋の地域共創」で採用された生地には、山陽染工のどのような技術が使われているのですか?

今回で言うと「段落ち抜染」という技術になります。単に色を白く抜く「抜染」ではなく、色の抜け具合に濃淡をつけることで、デニム特有のグラデーションを生み出すというもの。今回の松屋銀座さんとの取り組みでは、合計6種類の色と柄の生地を提供しました。

―― 今回の取り組みで印象に残っていることを教えてください。

クリエイティブディレクターの谷口勝彦さん自らが工場に来てくださり、どうしたら魅力的な空間になるか、山陽染工の技術が伝わるかという視点で一緒に考えてくださったことですね。我々としても、単にオーダーされた生地を届けるだけじゃない、次の一歩へ踏み出せたような、そんな経験ができたと感じています。

あとは生地だけでなく「糸」も展示の一部として使いたいというアイデアに応えたことですね。いつもは「生地」という製品を出荷しているので新鮮でした。どのような糸がいいのか思案しながら、ひとつひとつ工場を回り、糸を集めて東京に送ったのは印象に残っています。

―― 注目してほしいポイントを教えてください。

今回は、ファッションの一部としてではなく、テキスタイルとしてデニムの魅力を表現することで、山陽染工の技術も“主役”のように扱ってもらっています。なので、ビジュアルの美しさだけでなく、多彩なデニムの生地ひとつひとつにも注目してもらえると嬉しいですね。

―― 今回の取り組みにどのような意義を感じていますか?

福山は、国内屈指のデニムの生産地です。世界からも高く評価されているテキスタイルです。なので、皆さんが履いているジーンズにも福山デニムが使われている可能性って、実は高いと思っています。その一方で、まだまだ多くの人に知られていない現状があります。なので、このプロジェクトは国内外の様々な人に福山デニムを知ってもらえる、非常にありがたい機会だと感じています。

―― 今回の取り組みを通じてどのようなことを期待していますか?

昨年に続き、松屋銀座さんとご一緒するのは2回目ですが、前回は松屋銀座で初めて福山デニムを知ったという方が、後日福山に来られ、FUKUYAMA MONO SHOPに来ていただいたこともあり、すごく手応えを感じることができました。松屋銀座には、本物をよく知るお客様が多いと思いますし、銀座という場所はインバウンドの方も多く訪れる人気の高いエリアなので、今回も多くの方に自分たちの技術や福山デニムの魅力を感じてもらえると嬉しいです。

デニムの「作り手」であり「伝え手」として。

―― デニムの何が、そこまで湯浅さんを惹きつけるのでしょうか?

少し話が逸れるかもしれませんが、大学時代にいた沖縄って、独自の価値観、宗教観、言葉を持っています。そんな地域で2年ほど過ごすうちに「自分の“らしさ”って何だろう?」と考えることが増えていき、そのときに自分がデニム好きなことを再確認したという背景があります。ある意味、僕にとってデニムを探求することは、自分を探求することに近いのだと思います。

―― 正直、飽きたりしないですか?

これが飽きないんですよね。途方もない工程を経て生地になっているし、産業構造としても面白いし、素材としても知らないことがまだまだ多くて、今も勉強中です。

―― 今後の目標を教えてください。

もっともっとデニムの魅力を伝えられる人になりたいですね。デニムって、生地を見てすぐに名前がわかるユニークな素材です。世界的に評価も注目もされています。そんなデニムが福山でつくられていることを、地元の人たちが誇りに思えるように。さらに「日本のデニムってすごい!」と、全国の皆さんにも思ってもらえるように。もっともっと認知度を高めていきたいですし、その一助に自分がなれたら嬉しいです。

―― 最後に、自分自身をデニムに例えると、今はどんな風合いだと思いますか?

味なんて全然出ていない、未熟な段階だと思います。まぁ、そろそろ1回洗ってもいいかなぁといった感じでしょうか(笑)。あと、これは最近言わなくなっていたのですが、「ジーンズみたいな男になりたい」と常々思っています。打たれ強く、青臭く、男女関係なく、誰にでもフィットする。宗教も関係なく、国境も関係なく、ボーダレスである。そんな人間になれるよう、今後もいろんな経験をしていきたいですね。

福山で受け継がれてきたデニム産業と、その土壌で育まれてきた独自の技術。そこに、デニムを愛してやまない若者の情熱が加わる。そんな福山デニムの魅力が、銀座という場所から多くの人へ広がっていくことを、松屋銀座は願っています。福山デニムの物語は、これからも紡がれていきます。

 

松屋の地域共創

日本の春×TOKYO CREATIVE SALON

2026年3月11日(水)- 24日(火)

 

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一人の若者が染める、デニムと地域の未来。

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