はがき箱

 越中八尾和紙 
 桂樹舎 

 越中八尾和紙 
 桂樹舎 

千数百年間一つの文化を支えてきた和紙。
それを無くすわけにはいかない。

千数百年間一つの文化を支えてきた和紙。
それを無くすわけにはいかない。

絡まり合う人の縁、銀座とつばめが繋いだ同門の手仕事

 

その名の通り、はがきがすっきりと収まるサイズの「はがき箱」。富山市八尾町にある和紙工房「桂樹舎」のロングセラーのひとつです。軽くて丈夫な八尾和紙の小箱の上を、銀座のシンボルである柳とともに可愛らしいつばめが悠々と舞います。ちょっとした小物入れとしても重宝するこの小箱には、受け継がれてきた手仕事と、幾重にも重なったご縁が宿っています。

富山市八尾町の手漉き和紙と、桂樹舎の工房

富山県の中南部に位置する八尾(やつお)町は、元禄時代から約300年踊り継がれ、毎年9月の3日間で約20万人が訪れる伝統行事「おわら風の盆」で知られる山あいの町です。この地を流れる井田川の豊かな水流を生かし、八尾では室町時代から手漉き和紙の生産が受け継がれてきました。明治初期の最盛期には「八尾山家千軒、紙漉かざるものなし」と謳われた産地ですが、現在、八尾で伝統の手漉き和紙を守り続けているのは「桂樹舎」ただ一軒となっています。

「重たいですよ」と静かに語る二代目・代表取締役の吉田泰樹(よしだ やすき)さんの言葉には、八尾和紙の歴史を一身に背負う重責がにじみます。

二代目・吉田泰樹さん
二代目・吉田泰樹さん

「紙」という文字が染め抜かれた暖簾が揺れる桂樹舎の建物は、富山県内にあった木造の小学校を移築したもの。工房に併設された「和紙文庫」には、二代目泰樹さんの父であり、創業者である吉田桂介(よしだ けいすけ)さんが収集した世界各国の紙や民藝作品が並び、紙という素材への尽きぬ探究心がうかがえます。

「楮(こうぞ)は繊維が長いので、破れにくく極めて丈夫な紙ができます。逆にいえば、この繊維の長さが邪魔をして機械では漉けない。だからこそ今でも、八尾和紙は手漉きでしかつくれないのです」

使い込むほどに柔らかくなり、革のように美しい艶が増していく手漉き和紙。桂樹舎はその魅力を、現代の日常に寄り添う道具として届け続けています。「和紙には1200年から1300年もの長い歴史があり、日本の文化を支えてきた。だからこそ、ただ飾るのではなく日常の中に入ってほしい。身近に持ってもらえる、それがやっぱり一番だろうなと思っています」。

紙漉きから型染めまでを一貫して手がける、桂樹舎の歩み

「和紙に型染めをしている工房は、全国でも基本的に少ない。さらに紙漉きから型染めまで自分たちでやっているのは、うちくらいではないですか」と泰樹さんは話します。桂樹舎がこの稀有なスタイルを確立したのは、父・桂介さんと、型絵染の巨匠・芹沢銈介氏の出会いにさかのぼります。

東京のデパートの呉服部に丁稚として入り、当時先端のデザインに触れていた父・桂介さんですが、体調を崩して故郷の八尾へ戻ります。療養中に和紙の魅力に取り憑かれた父・桂介さんは、八尾で和紙工房を興し、民藝運動の祖・柳宗悦(やなぎ むねよし)氏の随筆『和紙の美』に感激して門を叩きます。柳宗悦氏との交流を深める中で出会ったのが、型染の巨匠であり後に人間国宝となる芹沢銈介氏でした。

ある日、芹沢氏から「水に浸しても破れない、型染用の和紙をつくれないだろうか」という相談が持ち込まれます。型染めには防染糊を落とすために繰り返し水に浸す工程があり、通常の和紙では破れてしまいます。そこで父・桂介さんは八尾和紙の特性を活かし、長時間水に浸しても耐えられる型染用和紙の開発に取り組みました。試行錯誤の末に完成した和紙は、芹沢氏の求めに応えるものでした。

こうして生まれた「型染め和紙のカレンダー」が一躍人気となり、父・桂介さん自身も芹沢氏から直々に型染めの技術を学ぶことになりました。こうして、紙漉きから型染めまでを一貫して手がける今日の桂樹舎の形が整っていきました。

同じ師のもとで学んだ、二人の型染め

父・桂介さんが切り拓いたその道を、二代目の泰樹さんもまた歩みます。泰樹さん自身も大学を卒業後、東京の「芹沢染紙研究所」へ弟子入りし、型染めの技を学びました。そこで出会ったのが、「銀座のつばめ」の図案を手がけた小田中耕一さんです。「今回、お名前を見てびっくりしましたよ。だって、先輩ですから」と泰樹さんは笑います。「寮も一緒でね、小田中さんが二階、私は一階。私は下っ端でした」。懐かしさをにじませながら、泰樹さんは当時を振り返ります。

「銀座のつばめ」の話が来たとき、泰樹さんの答えは明快でした。「先輩だからやらざるを得ないだろうと。断る筋合いはありませんから」。冗談めかして話す言葉の裏には、同じ師を仰いだ者同士の深い信頼がにじみます。「純粋に嬉しいですよ。デザインの現場は、本当に楽しいです」。小田中さんの図案を初めて見たとき、泰樹さんが一番に注目したのはその色使いでした。「明るくて、パッと鮮やか。私たち桂樹舎が長年染めていると、どうしても和紙に馴染む渋めの色合いでまとめがちなので、非常に勉強になりました」。同じ師のもとで型染めを学びながらそれぞれ異なる表現へと育っていった二人が、「銀座のつばめ」という図案の上で再び出会ったのです。

直接やりとりしながら、一つの図案を形にする

色の選定から、小田中さんと直接やりとりを重ねながら制作を進めました。「最初は白地ベースから始めて、色は何色がいいか、箱のヘリ(縁)の色はどうするかなど、何度もやりとりを重ねました」。のり置きの工程では、小田中さんの絵柄をそのままに再現するため、あえてシルクスクリーンの技術を採用しました。「私たちが型紙を彫り起こしてしまうと、どうしても『桂樹舎の作風』になってしまう。小田中さんのそのままのタッチを届けたいと思ったのです」。同じ型染めを手がける職人としての、作品への静かな敬意がその言葉から伝わります。

「今でも途中で投げ出したくなるような難しい色付けはいくつもあります。納得がいくまで、何回も色を修正している。小田中さんも、この図案のために4、5回はご自身で染め直しているんじゃないですかね」一枚ごとに表情が異なる手漉き和紙は、厚みも違えば染料の入り方も変わります。「布に型染めをされているベテランの方でも、『和紙に染めるのは難しい』とよくおっしゃいます」。

和紙への型染めには、長年の経験に裏打ちされた手仕事の技術が求められます。その工程を順に追うと、紙漉きからのり置き、彩色、水洗いへと続きます。もち米と米糠(こめぬか)で作るのりをヘラで置き、乾かしてから色を差し、30〜40分水に浸けてから手箒(てぼうき)でのりを丁寧に落としていきます。すると水中に鮮やかな「銀座のつばめ」が姿を現します。

最後に和紙を箱へと仕立て、柔らかなアーチを描く蓋も職人の手で一枚一枚擦り出して成形されます。小さな箱のなかには、驚くほど多くの工程と手仕事が詰まっているのです。

新しい世界を吸収して、これからの和紙に生かす

昔から、銀座に行くと必ず松屋銀座のデザインコーナーに足を運んできたという泰樹さん。「いつも、7階(デザインコレクション/デザインギャラリー1953)をのぞきます。斬新で、新しい感覚に触れられるんです」。「銀座のつばめ」を通して松屋銀座から声がかかったことに、縁の深さを感じています。

「私たちは紙漉きからデザインまで一社だけで完結できる強みがあります。けれど、自分たちの中だけでやっていると、どうしても視野が狭くなってしまう。だからこそ、ご縁があれば、おおいにコラボレーションして新しい世界を吸収していきたい」。創業者である父親から受け継いだ飽くなき向上心が、その言葉に宿っています。

小田中耕一さんのつばめが軽やかに舞う「はがき箱」。手紙を書く機会が少なくなった現代ですが、大切な人からの便りや、思い出の品はきちんと仕舞っておきたいもの。受け継がれてきた手仕事と、重なるご縁から生まれた、暮らしを彩る小箱です。


×

商品ラインナップ


  • はがき箱

    型染作家・小田中耕一さんが描いた「銀座のつばめ」を、作風そのままに染め上げました。楮ならではの、温かみのある生成りの和紙の上を悠々と飛ぶつばめ。銀座のシンボル・柳の緑も揺れています。八尾和紙で作られた箱は丈夫ながら軽く、使い込むほどに味わいが生まれます。ハガキのみならず、ちょっとした小物入れとしても重宝するサイズです。

 越中八尾和紙 
 桂樹舎 

 越中八尾和紙 
 桂樹舎 

千数百年間一つの文化を支えてきた和紙。
それを無くすわけにはいかない。

千数百年間一つの文化を支えてきた和紙。
それを無くすわけにはいかない。

TOP